教員情報詳細
- 所属名称
-
文学部 日本語日本文学科
- 資格
-
教授
- 学位
-
博士(文学), 修士(文学), 文学士
- 研究分野
-
日本近代文学
- キーワード
-
小説の解釈, 国語教材の解釈, 映画の解釈, 樋口一葉
- 社会貢献活動
-
10年余りにわたって、社会人の皆さんと読書会を続けています。さまざまなジャンルの小説をめぐって、想いを語り合う楽しさを共有しています。, 2015年度より、4年間にわたって阪神近代文学会の会長を務めました。年に1冊、査読付き学会誌『阪神近代文学研究』を発行し、活発に活動しています。, 2016年度に、日本近代文学会関西支部の事務局を務めました。会員数は250名余り。最先端の近代文学研究者が集う学会です。
- メールアドレス
-
- 大学公式
- kinjimukogawa-u.ac.jp
小説の解釈にこだわり樋口一葉の研究を続けてきたことと、最初の勤務校がたまたま弘前大学の教育学部国語教育講座だったことが相まって、「教室における文学」というのも自分の研究対象だと考えるようになりました。読解力というキーワードがありますが、本文を読み、論理的に思考し、理解する。このプロセスは、文学研究の最初の重要なステップであると同時に、学校教員の教材研究においては最重要の課題です。小説は解釈が複数ある場合が多く、さまざまな文脈を想定してながら、妥当性の高い解釈を模索することが必須となります。
その際、予断を排して真剣に本文と向き合うことが大切です。現実には、作者の意図は不明である場合が多く、国語の授業においては最初から、教科書から除外されています。予備知識が邪魔をして、読解の妨げとなる場合も少なくありません。何度も何度も本文を読み、丁寧に根拠を押さえながら自力で解釈を進めていくことが、文学研究においても教材研究においても欠かせないと思います。
ところで、文学研究は作者の意図を探る学問だと誤解されているかもしれませんが、私自身は作者の意図にこだわりません。ゴシップのような伝記記事実に影響されて、作品の解釈が左右されるなんて、考えただけでゾッとしませんか? しかしそれは、一昔前の樋口一葉研究では当たり前になされてきたことでした。女性作家である樋口一葉が師匠の半井桃水とどのような関係であったか、肉体関係はあったかなど、下世話な問題を解明することが、作品の解釈において欠かせないと考えられていた時代がありました。今なら確実に、セクハラで訴えられると思います。
たとえば映画を例に挙げると、監督の意図で作品を説明することがよくあります。作品のメッセージも監督が生み出したものとして扱われます。「私が伝えたかったのは~」などと、監督が予告編で語っているのを頻繁に見かけます。しかしよく考えてみたら、メッセージの大部分は脚本に左右されるのではないでしょうか。さらに脚本は原作に縛られているかもしれません。そういう意味で、私たちは当たり前のこととして、監督が作品の意味の支配者であるように捉えていますが、そういった常識を疑うべきなのです。大勢の人のコラボレーションとして、映画は捉えるべきなのです。それは小説においても同様だと思います。編集者の存在や時代状況、読者のニーズなど、作者自身とは別の変数も影響して、作品はできあがっているのだと思います。小説を作者個人のメッセージとして扱うべきではないと考えます。
さらに、読者という存在が、小説を小説たらしめるということを、私は忘れてはならないと考えます。仕事で、作家の講演会を聴いたりインタビューをする機会があるのですが、いったん作者の手を離れたら、作品は読者のものだという言葉をよく耳にします。作品の解釈は読者にゆだねるべきであり、作者自身は口を挟んではならない。私は、そのような決意で書かれた小説だからこそ、一人の読者として丁寧に、誠実に読まなければならないと考えます。研究もそのような気持ちで取り組んでいます。